私の友人の祖母は沖縄県の石垣島、八重山群島に生まれました。
彼女は小学校教師になるという夢をかなえるべく、厳しい受験を乗り超えて難関の沖縄師範学校に入学しました。八重山に住む家族と離れ、沖縄本島の那覇市で学校の寮生活を送りました。
彼女自身の夢の実現でもありましたが、女の子が「師範学校を出て、教師になる」ということは、当時の一般家庭にとっても誇るべき、輝かしいことでした。
彼女が師範学校の本科1年生に在学中、第二次世界大戦が終盤に差し掛かりました。戦時下で物資も乏しく、船が少ない中で、夏には石垣島に帰省しました。
初夏には師範学校の教師からは、「沖縄本島は戦場になりそうだから、学生は戦争が終わるまで学校に戻って来なくてもいい」と言われたそうです。
家族の間では、より安全な台湾に疎開しようかという案が出ました。
しかし9月になると、学校から「スグ帰校セヨ」との電報がたて続けに入りました。
彼女は今までの勉強を無駄にしたくない、卒業証書をもらって先生になりたい、という思いから帰校を決意したそうです。
学校は半分以上がが軍に接収されていました。そこではもう授業や勉強どころではなく、勤労動員として働くことになりました。